ベニータアントニオフラメンコスタジオ

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2019.04.02ブログ

けいちゃんのフラガール日記・08「バンドのおじさんたちもすごいよ!」

 ※高校を中退してフラガール一期生になったけいちゃんが無茶をしながらも常磐ハワイアンセンターNO1になったぞ。 

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 けいちゃんを探せ(まだ髪の毛短いですね)

 約8ヵ月の研修を終えて昭和41年1月15日の常磐ハワイアンセンターオープンの日を迎えました。おっと、その前にダンシングチームのお披露目をしたんだっけ。会場は当時有楽町にあった産経ホール。(サンケイホールかもしれない。現在の大手町サンケイホールではないようです。)常磐鉱産の本社が銀座にあったからというのがお披露目の場所を有楽町にした大きな理由だそうですが、新聞社も沢山あったこの辺の方がPR効果絶大ですもんね。この時踊ったのが前回も述べたように(と思うのですが)スパニッシュダンスで「エスパニアカーニ」と「アルルの女」そして勿論ハワイアンの「タフアフアイ」とタヒチアンの「ビニビニ」(この原題「ViniVini」の日本語表記を「ビニビニ」にしようか「ヴィニヴィニ」にしようか「ベニベニ」に訊いたところ「ベニベニ」は「ビニビニ」だよ。と断言したので「ベニベニ」の言う通り「ヴィニヴィニ」ではなく「ビニビニ」にしました。以上「トニトニ」でした。)

 アン「緊張した?」

 ベニ「いやいや、やっとステージで踊れるんだもん。待ってたぜベイビーだよ。」

 アン「踊ったの4曲だけだったの?」

 ベニ「8ヵ月の練習だから4曲だけ。まだソロなんかは無しだよ。みんな全員で踊ったよ。」

 4曲合わせても20分いかないだろうし下手するとというより当然着替えの方が時間かかりそうだし、ダンサーのけいちゃんは自分たちのことで精一杯。出番と出番の間にステージ上で何が行われていたかは知らないそうです。常磐ハワイアンセンターの施設の説明、宣伝や中村社長の挨拶などのプログラムが進行していたのかな。

 昼夜2回行われたお披露目はどちらも大盛況。幸先の良い出発となりました。

 さて、今度こそ常磐ハワイアンセンターオープンの日を迎えました。

 アン「最初に踊った曲覚えてる?」

 ベニ「最初に踊ったのはさっきの『タフアフアイ』と『ビニビニ』(そりゃそうだ。)それとフラの『フキラウ』『アフリリ』かな?とにかくうれしくってしょうがなかたよ。タヒチアンは総踊り、フラは何人かづつで踊るようになって、あとは大ホールでフラメンコ。

 アン「エスパニアカーニ」と「アルルの女」だけでフラメンコショーできるの?」

 ベニ「フラメンコショーとしてやるんじゃないの。歌のおじさんが歌を歌ったり、あのね!ブラスバンドがあったのよ、女子だけの。思いだしたぞー。」

 アン「それも長屋のコ?」

 ベニ「そう、みんな炭鉱の娘たち。そのコらが大ホールでやってたのよ。ブラスバンドっていうか吹奏楽団、女の子達沢山いたよサックスからトロンボーンからフルートからみんな揃ってたよ。」

 アン「その人たちは誰が教えてたんだろうか?」

 ベニ「奥田先生(奥田宗広先生とは日記の01に出てきた募集記事に載っていた当時NHK専属楽団の指揮者です)がそれぞれのパートの専門家を引っ張ってきて教えたんだと思う。」

 アン「その人たちはどこでお稽古してたの?」

 ベニ「どこだったかな?ブラスバンドに男の人のバンド、ハワイアンバンドがそれぞれ10人位づついたからなあ。稽古場がハワイアンセンターの建設現場の方にあったかなあ?あたしたちのお稽古場の隣に別の稽古場あったかなあ、だんだん増設してったからなあ。あっ、ハワイアンは一緒にやってた。」

 アン「ベニータたちと?」

 ベニ「そう、フラのお稽古と一緒に、山口軍一先生が専属でバンドに教えに来てたよ。フラメンコも踊りとギターは一緒にお稽古してた。」

 踊りの伴奏はやっぱり踊りを見ながらじゃないとね。

 ベニ「バンドも大変だったよ、みんなこないだまでカンテラとツルハシ持って石炭掘ってたおじさんたちがやったんだもん。もちろん素人だし譜面読めないし、だけどみんなゲストの歌手が来たりしても初見で弾けるようになったよ。すごいよ!」。

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