ベニータアントニオフラメンコスタジオ

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2019.04.02ブログ

けいちゃんのフラガール日記・07「よく遊んだけどよく学んだぞ」

 ※高校を中退してフラガール一期生になったけいちゃんが無茶をしながらも常磐ハワイアンセンターNO1になったぞ。

常磐ハワイアンセンター

オープン当時の常磐ハワイアンセンター、けいちゃんは誰だ!答は下に。

 翌年1月15日常磐ハワイアンセンターオープンまでの8か月はレッスンの毎日でした。月曜日から木曜日まではフラダンスとタヒチアン、金曜日と土曜日はフラメンコです。金・土とまとめてフラメンコをやったのは、担当の香取希代子先生が東京から福島まで何度も行ったり来たりするのは体力的にも交通費的にも大変だったからに違いありません。

 朝食は8時から、月曜日から木曜日は午前中9時か9時半からバレエレッスン。バーレッスンを中心に基本的な身体づくり。11時頃からお昼ご飯と休憩で午後からフラダンスとタヒチアンダンス。フラ→タヒチの順だったかな。

 「洋舞にはバレエの基礎があると良いのでレフアナニ佐竹、カレイナニ早川両先生がバレエレッスンを取り入れてくださったのはありがたかったね。」(小っちゃい子供の時から民族舞踊を踊ってる人は必要ないかもしれないけれどある程度の年齢になった場合はバレエの基礎があった方が良いですね。)ただ自分たちの経験を言うと、ストーリー性のあるフラメンコ公演に男性のバレエ(モダン、クラシック等)ダンサーが手伝いで入ったことがよくあったのですが(男性フラメンコダンサーの絶対数が足りないからです)たとえば決めのポーズが流れた感じになったりしてちょっと変だなと感じることが多かったです。挙げた手の方に首が傾いたりするからかな。これもフラメンコのレッスンをみっちりやったわけではなく付け焼き刃で振り付けだけのパターンがほとんどだったので仕方ないですけどね。バレエがなんにでも完璧に対応できるという訳でもないですねということで。

 常磐ハワイアンセンターオープンまで8ヵ月、フラダンス、タヒチアン、フラメンコすべて振付けから入りました。振りの中で様々な所作や足の運びをの基礎を学んでいく感じでした。「月曜から木曜までフラ(ダンス)とタヒチアン。佐竹先生、早川先生どういう割り振りだったか忘れちゃったけどそれぞれの日もあったしお二人で来られた日もあったよ。」先生方それぞれで2~3曲づつ全員に振り付けられて後でこのコはこの踊りあのコはあの踊りというふうにそれぞれに合った曲に分けて仕上げられたようです。ハワイアンでは「フキラウ」「アフリリ」「カイマナヒラ」、タヒチアンでは「ティオ・ペペ」「ティアラ」「ビニビニ」等の曲を踊りました。

 大体スローなテンポの曲は佐竹先生、速めのテンポの曲は早川先生と大まかに分かれていました。目先が利く早川先生は観客に受ける振付を考える方で、飛び上がって膝を折ったまま仰向けに着地。しばしの静寂の後、徐々に起き上がっていく動きは早川先生の振付。今でもスパリゾートハワイアンズのショーの大事な見せ場になっているようです。さて、速めの軽快な曲はリズムに合わせて手足を動かせば何となく踊りに見えますがスローな曲は"間"が難しい。職人肌で踊りに打ち込むタイプの佐竹先生はここが上手くて、けいちゃんもテルも繊細で優雅な佐竹先生の振りが大好きでした。

 金、土曜日のフラメンコもわけもわからんのに振付けから。まずは「シギリージャ」。フラメンコの曲目は2拍子4拍子がないわけではないのですが、この「シギリージャ」をはじめ多くの曲は複雑なというかややこしいリズム取りが多くて始めのうちは何やってるかわかりません。この「シギリージャ」も曲の題名ではなく、コンパス(リズムみたいなものと思ってください)の名称です。1・2・1・2・1・2・3・1・2・3・1・2という12拍が1コンパスで、このコンパスがずーっと続きます。複雑なリズム取りにはパズルみたいな楽しさもあって3日やるとのめり込みます。私たちはのめり込んでいます。

 ベニ「香取先生もわからないコは放ったらかし。なにしろオープンまでには何人かでも仕上げなきゃいけないんだから。あっ!思い出した。お披露目の時『アルルの女』やったんだ。『アルルの女』と『エスパニアカーニ』」

 アン「全員で?」

 ベニ「それは全員。タンバリンをポンポンたたいたりして『アルルの女』は。タンタンターン タタ タタ タタン"ポン"みたいに。」

 アン「『エスパニアカーニはパリージョ(カスタネット)使ったりしたの?」

 ベニ「忘れちゃったなあ。パリージョ難しいから使わなかったんじゃなかったかなあ。それにあたし男振りだもん。ダンサーのうち半分が男装して男振り、あとの半分は女装、とは言わないけど女性の格好よ。男装組は闘牛士のマント(カポーテ)振り回したりしたよ。」

 ベニ「習う側も好き嫌いがあって、ほら、フラメンコって難しいじゃない。ひとえふたえなんか『フラメンコ大っ嫌い』って言ってたよ。」(ちなみに"ひとえふたえ"とはたぶん中卒ですぐに親に言い含められてここに来たと思われる双子の姉妹で、本当はひとえとふたみだったかな?えーい、ひとえとふたえにしちゃえ。という訳で・・・ございます。)

 アン「お披露目は『シギリージャ』とか普通のフラメンコ(生のギター伴奏で踊る)はやらなかったの?」

 ベニ「フラメンコは大変だもん。オープンして少し経ってからだったよ。」

 フラメンコギターも炭鉱のおじさん(あるいはお兄さん)がツルハシとカンテラをギターに持ち替えて東京から来た本職の先生(オビカ先生という先生だったよ)に踊りのレッスンの脇で踊りと並行して習っていました。最初は一人でしたが「こりゃえらいこっちゃ」ということで後にもう一人増えました。踊る側も弾く側もアドリブなんてぜったいやらないしできないものの8ヵ月でラスゲアード(ジャラジャラ弾くやつ)だのゴルペ(演奏しながら薬指の爪でギターの胴を叩く。爪にはアロンアルフアかなんか塗ってるし、ギターにはプラスチックの薄い板が貼ってあるので爪もギターは壊れません)だの、いや普通にギターを弾けるようになるだけでも大変ですよ。

 踊りはどのレッスンもバレエの経験があるからという理由で豊田恵美子さんだけいつも特別扱い。そのうち頭に来て3月位経った頃かな、「負けちゃァいらんねえ、やっぺやっぺ。」とけいちゃんとテルは2人で早朝自主レッスンを始めました。「朝5時頃起きてレッスン場に行ってやるのよ。」

 アン「そんな早起きして眠くないの?」

 ベニ「だって夕方5時にレッスン終わったらご飯食べて何もないんだもん、大丈夫だよ。」

 アン「何やったの?」

 ベニ「まずバーレッスンで体ほぐして、なんせバーまで足届かなかったんだもん。その後はおさらいして、わからないところ、あやしいところを確認し合ったり。ひと月位たった頃かな千代ちゃんが来て続いて淑子が来て一緒に稽古するようになったよ。そのちょっと後だったかな?エミちゃん(豊田恵美子さん)が7時頃『何やってんのー?』と言いながらやって来たんで『いやいや、お稽古。』『私も入れてくんねかーい。』おめえ、バレエ出来てんだからやることねーだろと思いつつも断る理由もないので一緒にやるように、そのうち少しずつ増えてみんな早起きしてお稽古するようになったよ。誰かがリーダーになったり仕切ったりしたわけじゃないし出てきたのも全員じゃないよ。来たり来なかったりの人もいたし遅めに来た人もいた、ひとえふたえも『ここわかんなーい』とか言いながら何回か来たかな。ただ私とテルは毎日やった。」

 全員揃って与えられたエクササイズをこなすだけのレッスンとやる気を見せた何人かが熱い気持ちで貪欲にのぞむレッスンとでは教える側の気持ちも変わります。先生方も熱くなり早朝レッスンに来てないコたちにもその気持ちが伝わってみんなメキメキ上達し始めました。

 のちに桐原のおじさん、おばさん、頭の禿げた石田院長先生をはじめ学院関係者一同の皆さんは揃って「あれは、なんだなー。おけいとテルが早くおきて(稽古を)やってて、みんなもつられてやるようになったからみんなこんなに上手くなったんだっぺねー。」と言ってくださいました。

 ベニ「あたしたちはみんなを引っ張ろうとか思ってやったわけじゃないんだよ。ただ誰にも負けたくないと思って稽古してただけなんだよ。」とは言いながらも何となく誇らしげな気分になるけいちゃんでありました。

 

 前列向かって一番右がけいちゃんだよ。

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